ノリコの日記

ナースノリコの駐車場で書く日記

懐かしの絵日記を発見

こんにちはノリコです

昨日は少し酔っていたし、すごく眠たかったのでどんな日記書いたかあまり覚えていません。おそろしいですね( ̄▽ ̄)とにかく、焼肉が楽しかった。

 

懐かしの絵日記発見

さて、今日は深夜入りの休み。先日発見した絵日記の整理をしました。今では中高生となったうちの子供たちがずーっと小さかった時、絵を描くのを見てあげながら私も絵日記をつけていた時期がありました。何をやってもあまり続かない私ですが、珍しく数年間、絵日記を書いていました。家事と仕事と育児に追われながらよくもまぁこんな細かい絵日記を書いたものです。自分でもびっくり。

 

絵日記の威力すごい

それにしても、なーーんて懐かしいのでしょう。その時の子供たちの顔、洋服、出来事、セリフ…時には忙しかったせいか殴り書きの日もありますが、写真だけでも、文字だけでもなく、「絵と文字」で綴ったこの絵日記の威力に心底驚いています。懐かしすぎる。そして面白すぎる。これは、どんなに忙しくても書き続けるべきだ。そう思いました。私、絵日記も再開せねば。やる事が山積みだわ。

 

我ながら珠玉の名作…

自分で書いておいて何ですが、我ながら読み返して爆笑でした。自分にしか分からないツボなんでしょうが、少し紹介いたします。

興味ないかもしれないけど、一応名前を雑に消しておきました。

 

この頃の私は少しだけ心を病み、仕事中、極度に緊張してしまうという悩みを抱えていました。

それでも毎日できた事を自分で認めて乗り切っていたものです…

当たり前ですが、みんなが来ている服は、当時実際に着ていたデザインが忠実に描かれており、本気で懐かしすぎます。雑ですが、確かにみんなこんな感じでした…

あと、母(左から2段目)はけっこう綺麗です。今69歳になりましたが、色白でいつもきちんと身なりを整えています。人からキレイだねって言われてルンルンしているような人なのですが、お風呂上がりには頭爆発の眉毛なし、部分入れ歯をとり、まさにこの顔です!!!笑 我ながらすっぴん感、風呂上がり感が表現されていて、家族みんなでこれをみて爆笑しました。スーパーに甲子園ワッフルが売ってて、みんなで仲直りしようと言い、食べたのでした。

 

お次はこれ。

 

これは、わたしが今の部署に異動になって3ヶ月くらいの日記ですね。精神科病棟から内科の急性期病棟に異動になり、バカ忙しくなった上、緊張の病も抱え、こわい先輩にビクビクしていた頃です。懐かしい…。今では恐れていた先輩もめっちゃ仲良くなって、こんな時期があったことなんてすっかり忘れてました。準夜が終わって、精神科病棟にぐちりに行ったようですね。5時まで話を聞いてもらい、帰宅。爆睡したせいで、息子の参観日を忘れたと。なんて最低なんでしょう…。これは息子が5年生くらいかな。参観日に来なかったことを、「まだ泣いてくれるんだね」と喜んでいる私。小汚い部屋着でイケメンの宅配のお兄さんの対応をしたと笑。私らしい…  でもこの頃より今の私はすこしちゃんとしてます。人は成長するもんですねぇ〜

 

そして次はこれ。

 

これは、新病院開設時のシュミレーションの日ですね。うそーーー!こんなだったんだぁ。今では旧病院の記憶も断片的にしか思い出せないです。今じゃ当たり前に毎日毎日患者さんが入り、目まぐるしい医療現場です。最初からずっとこうだったように。あーなんということでしょう。記憶はほんとに薄れていきます。わたしはこんな髪型をして緑の服着て。患者役やったんですねー。十二指腸穿孔で緊急OPの役…なるほどぉ…

 

次は。

 

準夜入りのある日。朝起きると母は畑にいました。今ではその畑、竹藪に飲み込まれ、畑などできなくなっています。母は畑を楽しんでいました。娘は熱をだし、お兄ちゃんはまさにこのように体操服をきちんと着て、保育所へ行ったのでした。父は脊柱管狭窄症の手術をして、今は軽トラの上になど登れませんが、この頃はこうして荷物を運ぶことができていたんですね。本当になんでもない日常。やはり母の眉毛は点線で描かれています…とても忠実。笑

あーやばい。止まらなくなりました。絵日記が整理されるどころか、あさりまくって、時系列がめちゃくちゃになりました。面白いので絵日記を振り返る作業をまたやります。

 

ではまた。ノリコでした。